那覇空港第2滑走路の課題

(2020年4月3日にメールマガジンにて配信された内容を転載しています)

 

3月29日、那覇空港の第2滑走路供用開始のセレモニーが「椅子の間隔を2m以上空け・換気の心配が全くない滑走路上で」行われました。

これは、40年以上前から、当時の商工会議所会頭であった国場幸太郎先生が、実現の資料を携えて自民党の大物政治家に直談判されていた頃からのプロジェクトでありました。

その意味においては、当時から頑張られた多くの皆様に敬意を表すと共に、今を生きる者として感謝の気持ちでいっぱいであります。

 平成24年8月、閣議のあと、当時の那覇空港拡張整備促進連盟会長、國場幸一氏(現國場組会長)と沖縄経済団体の皆さんを官邸にご案内し、野田総理に第2滑走路実現のための要請を致しました。

内閣府と国交省のなかで様々な論議がありましたが、政治主導で野田総理に決断をしていただき、概算要求に新規事業として計上されることになりました。

私は、国民新党の幹事長として概算要求決定会議に参加し、配布資料のなかに「那覇空港第2滑走路の新規予算」が明記されていることを確認したとき、胸が躍るとともに、目頭が熱くなったことを今でも忘れることはありません。

日本の予算制度は「概算要求で計上されなければ本予算では認められない」というルールであります。

つまりこの予算は、「8月の概算要求は野田内閣」「12月の本予算は安倍内閣」という、2つの内閣が連携して実現した珍しいケースであります。

沖縄経済界が40年間にわたり、何百回と要請を行っても実現することはありませんでしたが、政権交代後の3代目の内閣である野田内閣は、沖縄への思いが非常に強いものがあり、この第2滑走路の概算要求での予算化を実現したのです。

私は、3月29日の供用セレモニー担当者に「野田元総理は招待したのか」と質問したところ、「招待しておりません」との返事でありました。

山中貞則先生がいつもおっしゃった「菊作り 菊見るときは 陰の人」という言葉を思い出すセレモニーでもありました。

 第2滑走路工事は、2013年9月にオリンピックの東京開催が決定した事を受けて、7年半の工事期間が「5年間での完了」と目標変更され、急ピッチで進められることになりました。

「オリンピックに間に合わせろ」という考え方に異論はありませんが、そのことによって2つの大きな副作用が生じたことも事実であります。

1つは「工期が短縮されたことで発注ロットが大型化し、本土企業が優先受注を行い、沖縄の地元企業が、件数においても受注金額においても小さくなった事」です。

具体的には、2000億円の工事発注金額のなかで、「本土企業1600億円、地元企業400億円」という結果となりました。

もう1つは「本体工事を急ぐあまり誘導路工事に予算がまわせなかったため、供用開始時に誘導路完成が間に合わず、着陸からボーディングブリッジ到着までに20分間を要する事」です。

また、工事期間の5年以内に「1.誘導路の整備、2.ボーディングブリッジ増設、3.駐車場増設、4.アクセス道路の整備、5.新規路線の決定」の5つが整備できなかったことも残念です。

しかしそれらは全て、県知事が国に指摘をし、修正させる役割があったと私は思います。

「国に“おんぶにだっこ”ではなく、国の事業でも沖縄県のことは物申す」の姿勢が重要です。

衆議院議員
下地ミキオ

※※※1週間前に配信されたメールマガジンを転載しております※※※
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