No.137 2005年11月9日

宮古島市長選挙における伊志嶺アキラ氏支持の決断

 来る11月13日の宮古島市長選挙において、9月11日の第44回衆議院議員選挙時の政治構図、「自公(反下地幹郎)」対「反自公」が維持されることが、10月21日の下地敏彦氏の大会において明らかになりました。公明党・創価学会は、下地敏彦氏の推薦を決定し「自公政権という枠組みなくしては、政治は行えない。」とスローガンを掲げました。これによって、この宮古島市長選挙における、私下地幹郎と後援会の方向性は決定づけられました。

 下地敏彦氏を推薦する方々の中にも私を支援していただき、ご苦労なされた方々が多くいらっしゃることを私は十分に理解しております。それ故に、私の今回の決断によって、その方々が抱くご心配やご懸念を考えると、とても胸が痛むものであります。

 そもそも、この自公連立政権と私との対決は、平成15年の第43回衆議院議員選挙から始まっております。前回の第43回衆議院議員選挙において、私は、当時自民党の現職の国会議員であったにもかかわらず、自公連立政権を優先する自民党本部と自民党沖縄県連の不合理な決断によって、無所属での立候補を余儀なくされました。第42回衆議院議員選挙(平成12年)において、自公連立政権に沖縄県第一選挙区を譲って協力し、自民党幹部と「次期選挙では、必ず選挙区からの立候補」という約束をしましたが、その約束は反故にされてしまいました。中央の政治の論理が、沖縄県第一選挙区に押しつけられ、2年前の第43回衆議院議員選挙において無所属で立候補しなければならなかったその当時の憤り、悩み、苦しみは、今でも私の心に大きな傷となって残っております。

 自民党で同じ釜の飯を食べてきた仲間の先輩達が、公明党・創価学会候補の支援のために沖縄県第一選挙区でマイクを持ち、私に誹謗中傷を幾度となく浴びせながら、相手候補の選挙応援をしている姿を見た時、私の人生においてこれまで感じたことがないような寂しく悔しい思いで胸がいっぱいになりました。しかし、あれだけの屈辱を受けながらも、自らの決断が不十分で、自民党に未練を持ちながら選挙運動をしたことで、有権者の皆さんが不信感や不満を感じ、それによって敗北という結果になったのではないかというのが、私があの選挙から学んだ教訓でありました。

 去る9月に実施された第44回衆議院議員選挙においては、「沖縄から政治の流れを変えること」を決心し、自民党と決別することで、その姿勢を貫きました。自民党との間に距離を置き、「反自公」という明確な旗を上げ、これまでの政治・選挙スタイルとの違いを鮮明にすることで、有権者の皆さんにわかりやすい選挙方法で戦いました。これが今回の選挙の大きな勝因であったと思っております。

 今回の衆議院議員選挙では、自民党本部の多くの大幹部が公明党・創価学会候補の白保氏の応援に入り、稲嶺沖縄県知事、翁長那覇市長、経済界の皆さんが、「中央とのパイプこそが、沖縄の未来を創る」というキャッチフレーズで、アメリカのハリケーンを超える力ずくの選挙を展開してまいりました。

 私には、無所属であるが故に、政党用法定ポスターはなく、宣伝カーも1台のみ、政見放送の機会もありませんでした。保守の議員や首長はそのほとんどの皆さんが公明党・創価学会の白保氏を推薦し、さらに5,000人を超える公明党・創価学会の運動員の投入、公明党から自民党議員への期日前投票実施の圧力、街頭演説における繰り返される中傷、数々の謂われのない中傷ビラの配布、支援団体や支持者への圧力など、その運動や圧力の凄さは想像を超えるものがありました。全国的な自民党圧勝の今回の総選挙において、数々の圧力を跳ね返し、下地ミキオ陣営が選挙戦を勝利できたことは、「政界の奇跡」とも言われるほどです。そして、それが大きな圧力に屈せず、私のことを真心で支えて下さった支持者の皆様のお陰であることは言うまでもありません。

 このように、去る9月11日の第44回衆議院議員選挙において、「反自公」という旗を掲げ戦い勝利した私が、来る11月13日の宮古島市長選挙において中途半端な決断をすることで、沖縄の政治や選挙のあり方を分かりにくくすることがあってはならないと考えております。

 下地敏彦氏が公明党・創価学会の推薦を得ずに、「宮古島市のことは宮古の人で決めるのだ。中央の政治は関係ない。」というスタンスを貫いておられたならば、私が「反自公」という立場をとる必要は全くありませんでした。でも、自公の選挙協力の背後に、「反下地幹郎」という大きな力が働いていることがはっきりしている以上、政治家としてその生き残りを賭けて、「反自公」という枠組みで闘わざるを得ません。

 現在の沖縄の政治環境や私の政治家としての将来を考えたとき、今回の宮古島市長選挙では、苦渋の決断として伊志嶺アキラ氏を推薦いたしました。そして、初代宮古島市長として伊志嶺市長を誕生させ、新たな宮古島市の発展により一層努力して頂くよう期待するものであります。

 思えば、伊志嶺アキラ氏の初当選時の相手候補は、私の父・下地米一でありました。私の父と争った伊志嶺アキラ氏を、私が支持することに対する心の葛藤は、皆様の想像を超えるものであります。「反自公」という政治的構図だけでは納得しがたい複雑な気持ちを押さえながらも、昨今の政治環境の中で、皆様に伊志嶺アキラ氏へのご支援をお願いすることについて、ご理解を賜りたいと存じます。実際、父・下地米一に、伊志嶺氏支持の決断を伝えた時、父の顔はこわばり、緊張感に満ち溢れたものでありました。その姿を見て、私は改めて政治の非情さを痛感いたしました。しかしながら、今、私が私情に流されて決断をすることは許されるものではありません。「新しい政治の枠組みを作る」という、選挙での皆様へのあの誓いを、沖縄の政治において実現することが私の使命であると考えるからであります。私が私情にこだわり、公約やこの政治スタンスを変えることで、皆様からの期待や信頼に、私下地幹郎が反することがあってはならないと考えております。

 「まっすぐに政治の道を歩く」、その道の一つのステップとして、宮古島市長選挙では伊志嶺氏を支持することを、改めて明確にさせていただきたいと思います。

 沖縄の政治において「保革」という壁を取り除き、そして、今の政治の対立軸である「自公か、反自公か」という大きな壁も取り除かなくてはなりません。そのためにも、「保革」の壁を乗り越えた下地幹郎は「自公か、反自公か」の壁を取り払らなければなりません。そして、それは宮古島市長選挙において、自公の枠組みにこだわる政治の流れにストップをかけなることなしには、始まらないと考えております。

 この選挙における勝利の後には、必ず沖縄の政治の中に「自公・反自公」という政治的対立軸がなくなり、新しい政治の枠組「沖縄から発信するか、東京の言うがままになるか(地方主権か、中央集権か)」とか、誰が沖縄の独自性を活かし、住み良い沖縄を創るために汗を流せるのかという、政治の選択になってくると思います。そして、その時の選択基準は所属政党ではなく、沖縄の心をしっかりと受けとめて政治をする人、行動力と実行力のある政治家個人の資質と情熱であると私は思っております。

 沖縄の政治の新たなスタートは、この宮古島市長選挙から始まることになると思います。伊志嶺アキラ候補の当選は、この新たな政治のスタートを確実にする大きな一歩になることを信じて、私は勇気と自信を持って、伊志嶺氏を推薦いたしました。

 皆様には、いつもご苦労とご心配をおかけして、誠に心苦しく感じております。しかしながら、今一度私下地幹郎の政治に対する熱い思い、故郷宮古島と沖縄に対する深い愛情をぜひご理解頂きますよう心よりお願い申し上げます。

衆議院議員 下地幹郎
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