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協議からこそ成果が生まれる

(2023年9月8日にメールマガジンにて配信された内容を転載しています)

9月6日、日本維新の会の藤田文武幹事長の記者会見において、私の除名処分を撤回することが発表されました。

これを受け、本日15時より、記者会見を開き、下地ミキオの除名撤回についての受け止めと、除名撤回にいたるまでの経緯をお伝えいたしました。

令和元年12月、中国企業によるIR汚職疑惑に下地ミキオが関わったとの報道があり、全く身に覚えのなかった私は、即座に事務所内での調査を行いました。

多くの皆様にご心配をおかけしましたが、弁護団とともに調査したところ、私がこの汚職事件と一切関係がない事が明確になったため、令和2年1月6日、記者からの質問がなくなるまで、1時間40分にわたる記者会見を開き、説明責任を果たしたのであります。

そして、騒動の渦中に巻き込まれことではありましたが、責任を取るという意味で、翌7日に離党届を提出いたしました。

しかしながら、日本維新の会は8日、私を除名とする処分を決定したのです。

その年の10月、贈賄側の被告人に判決が下りましたが、その裁判の中で「下地幹郎とIRに一切関係がない」ことが法的にも明らかになりましたが、11月に維新の一丁目一番地である大阪都構想の住民投票が控えていたことから、住民投票への影響を避けるために、住民投票が終わった12月9日、当時の松井一郎代表・片山虎之助代表宛てに、除名処分の撤回を求める1回目の上申書を提出いたしました。

その時に動きはなかったものの、令和4年、上申書の再提出に向け、日本維新の会の関係者との協議を始めました。

上申書の内容について幾度も協議を重ね、その年の10月5日、馬場伸幸代表宛に2回目となる上申書を提出いたしました。

日本維新の会側より「除名撤回の根拠について、弁護士からの説明が欲しい」とのことでしたので、私の顧問弁護士が「この事件と下地幹郎が一切関係ないことは、立件すらされていないことからも明白だ。協議に応じないのなら裁判で争うこともいとわない」という内容で、11月29日、3回目の上申書を提出したのであります。

その後、下地幹郎と弁護士とで、合わせて8回の協議を重ね、電話協議を加えると数知れない協議を行ってきました。その結果、除名処分の撤回という結果が決定したのであります。

当たり前のことではありますが、私の除名処分が撤回された最大の要因は、「下地幹郎がIR汚職に一切関わっていなかった事」が明確になったこと、「司法に訴えることなく、協議を続けてきたこと」であります。

3年間という長きにわたり、協議を行っていただいた日本維新の会の関係者の皆様、弁護団をはじめとする関係者の皆様に、心より感謝申し上げます。

政治家・下地ミキオは、今日からまた新たな一歩を歩み始めます。

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